ジャニーズとミュージカルヲタの気まぐれ日記

思ったことをそのまま綴るだけの日記

君の夢の中で生きられるなら

ミュージカル フランケンシュタイン観劇してきました!レポ~!

 

本当に好きなミュージカルになりました。自分なりに好きな部分やら解釈やらプリンシパルの役どころについて…。

 

まず、ビクター。

なんて天才な人物なんだ、とか思って見てました。天才より奇才、という言葉がぴったりかも。

ビクターって、もちろん向上心と情熱を絶やさない努力の人ではあるんだけど、元々生まれ持った才があって、それが故に苦しんでいて…。

「誰も理解してくれない」「もう放っておいてくれ」と周りに当たってしまう。それでもアンリやジュリアはビクターの一番の理解者であろうとした。でもビクターは2人が死ぬまでそれに気付けなかった。(気付かないふりをしていたのかもね。)

大切な人は失ってから気付く、みないなのってよく言うじゃない。でも、それを改めて今回観劇して感じたなあ、と。

自分がアンリやジュリアを振り回してた、みたいなことに気づいたビクターってどういう感情だったんだろうか。

 

「俺はフランケンシュタイン

っていう歌詞、そこで、カッキーこと柿澤勇人とアッキーこと中川晃教の今回の役作りの違いが現れてたなあ。

カッキーのビクターは、まだ子供のようなあどけなさが残っていて、天才故に理解されず、周りからどんどん大切な人が奪われていく…ああ…僕には何も無いんだ…僕はフランケンシュタインなんだ…みたいなニュアンスに聞こえたんだけど、

アッキーのビクターは、周りに受け入れられるために自分の生命創造欲を抑えてきたけど、もう限界で、これを解放するんだ…そうだよ…俺はフランケンシュタインなんだ…!みたいな感じに捉えてました。

こればっかりはダブルキャストの魅力でもあるし好き好きは個人によると思うけど、私はアッキーの孤高の天才感をもった孤独なビクターが好きだったなあ。

多分、彼(中川晃教)自身のそういう天才肌な部分が今回のビクターっていう役にハマってたのもあるのかも。

 

そして、アンリ。

実際アンリとしての登場シーンってそんなに多くはないんだけど、アンリは確実に客に強烈な何かを残していったね。それがどういうものなのかは言葉では説明しにくいんだけど。人を信じる心、とでもいうか。

「君の夢の中で」で歌っているように、アンリはビクターに恋をしてた。ビクターの情熱とか、向上心とか、信念とか、そういうビクターの魅力に。

「笑ってよ。ただ笑顔で見送ってくれないか?…運命だと思って。」

「あの研究は君にしかできないよ。…つまり、生きるべきなのは僕じゃない、君なんだ。」

っていうアンリが死刑台に行くまでの面会の歌とセリフ。

アンリはどんな気持ちだったんだろうな。多分、自分の命を投げ出してもいいと思えるくらいの人物に出会ったことのない私にはわからないんだろうね。

夢ならいつまでも2人きりなのに…

君の夢の中で生きたい…

単純にアンリとビクターの関係、羨ましいと思った。

 

今回、メインキャストが2役演じるのがこのミュージカルの醍醐味かな、と思ってすごく楽しみにしてた。

ビクターって、自分の(生命創造をしたいという)欲を閉じ込めて閉じ込めて生きてるじゃない?そして、同じ俳優がこれまた正反対の、欲望の塊のようなジャックという見世物屋の主人を演じる。

アンリと怪物は今回の役の中で唯一繋がってるんだけど、それでも、ビクターを本当に慕っていたアンリと、復讐したい怪物では反対のところがみえるよね。

ビクターを理解して、信じているジュリアと、人間が信じられないカトリーヌ。

全てのキャストが繋がっているようで繋がっていなくて、繋がっていないようで繋がってる。そんな不思議な感覚だった。

 

 

 

〜此処から〜

この言葉を使うのはあまり好きではないが、私が「新規ファン」であるうちにこの文章を書き留めておこうと思う。

私はV6のファンになってまだ1年も経っていないが、私が思う20周年を迎えた「V6」というグループについて自己満で語らせてもらう…。

グダグタでまとまっていない文章だが共感してくれる方がいたらとても嬉しい。

まずもって、「グループ」とは何なのだろうか。
非常に難しい問題だが、「V6」が無かったら個人の活動も無いのであり、まずこの問題について考えたい。
簡単に言ってしまうと、ジャニーズ事務所における「グループ」とは、「利益分配集団」だと私は思う。もちろんそんな簡単なものではないことは重々承知しているが、根底にあるものはそんな簡単なことなのではないだろうか。
若者は大体、個人の努力が自分に専一的に還元されることを望むらしい。
例えば、図書館戦争を見た人が岡田准一に興味を持ち、岡田のファンになったとする。それだけならそれは岡田だけに岡田の努力が還元されたことになる。
しかし、もしその人が岡田を調べているうちにV6に興味を持ち、三宅のファンになったとしたら、それは完全に「利益分配集団」への還元である。
努力したのは岡田なのに、岡田の努力は岡田だけではなく他の人にも分配されたのだ。
では何故彼らは20年もの間誰1人として「利益分配集団」を辞めなかったのか。
考えられる理由を私なりに二つ上げてみる。
まず一つ目に、彼らは「利益分配集団」に属していることによって、自分に誰かの努力による利益が分配される可能性があることに気づいたからではないだろうか。自分の努力が他の誰かに分配されたとしても、他の誰かの努力が自分に分配される。
そして考えられるもう一つは、独立するとリスクをヘッジ出来ないから。要するに、一人でリスクを背負いきれないからだ。一人だと、一度の失敗で失う代価が大きい。だからグループに所属する。
それは違うんじゃない?と思う方も居るだろうが、これはあくまでひとつの見解として受け取ってほしい。

ミュージカルの「坂本昌行
食の「長野博
司会の「井ノ原快彦」
舞台の「森田剛
手話の「三宅健
演技の「岡田准一
字面だけでもかなりパンチがあるが、一人一人見るとさらにV6は個性的な人達が詰まったグループだということが分かる。
一人一人を細かく触れていくとまた文が長々しくなりそうなので辞めておくが、この個性の塊のような6人が集まった時、面白い現象が起きる。個性が消えるのだ。(勿論いい意味で。)
個人が持ち寄った努力が、6人でいる時にしか出せない雰囲気、関係性となって溶け込んでいく。
これはV6に限ったことではない。
「グループ」というのはこの素晴らしい奇跡の現象によって均衡を保ってきた。

グダグタ長々かいてきたが、要するに言いたいことは

「俺達1人じゃ弱いけど!6人揃えばマジやばい!6つの力を合わせると!俺達無敵のV6!!」

ということなのだ。

今日も6人が息をしている。それだけで私は幸せ!!!!

いつかこの文章を読み返して懐かしく思える日が来ることを願う。





出典、参考
私たちはなぜ「労働」するのか 内田樹




充電期間

先程KATーTUNが充電期間に入ることが発表されましたね。

私はKATーTUNに関しては全くと言っていいほど無知なのでコメントしかねますが、昔のNEWSと似たような状況下に置かれているKATーTUN、hyphenさんへ向けて。



2011年10月7日、錦戸亮山下智久が抜けNEWSが4人になることが発表された。
関ジャニ∞との掛け持ちをしていた錦戸、個人活動が目立つ山下。今考えると彼らの脱退は時間の問題だったのかもしれない。

音楽性の違い、未成年メンバーによる不祥事でデビューから立て続けにメンバーの脱退が続き、ファンの減少が否定出来ない状況にあったNEWSにとって、彼ら二人の脱退は相当なダメージだった。

しかし彼らの脱退を千載一遇のチャンスだと思った奴がいた。NEWSの不動のエース、手越祐也

「やる気のない奴に声を掛けてもグループはやっていけない」

彼はこう言い放った。
元々、活動が目立つ二人を良くは思っていなかったのだろう。実際メイキングなどでも錦戸や山下と楽しそうに絡んでいるのはあまり見たことがない。
彼にとって二人の脱退はチャンスだったのだ。今でこそ金髪や王子様キャラといったイメージが強い彼だが、それも二人の脱退後に出来上がったものだ。
NEWS時代の錦戸、山下ファンにとっては耳を閉ざしたくなる言い方だが、彼は二人の脱退によって不動のエースになったと言っても過言ではない。

手越以外にも、NEWS一人一人のイメージが出来上がったのは二人の脱退後なのだ。

キャスター、王子様、歌、小説。


一年の個人活動期間で彼らは何を失って何を得たのだろうか。自分がNEWSと名乗れないこともあった。座っているだけで涙が止まらないこともあった。何故自分達が頭を下げなければいけないのかと思うこともあった。それでも一人一人の地位を確立させ、今日もNEWSは笑っている。

今、自分にとってNEWSを続けることは「使命」だと手越がどこかで言っていた。
「どんどん新しい後輩が出てきて、コンスタントにものを届けてくれるグループに移ってもおかしくない状況の中でもNEWSがいい、NEWSが一番と言ってくれる事は本当に奇跡で有り難くて、俺には今最高のファンがついてくれてる」と。

脱退とはこういうことなのだ。

KATーTUNの充電期間、彼らが何を失って何を得るのか。不覚にも楽しみだと感じている自分がいる。

いつか胸を張って俺らは"KATーTUN"だと言える日をいつまでも待ち続けたい。