ジャニーズとミュージカルヲタの気まぐれ日記

思ったことをそのまま綴るだけの日記

〜此処から〜

この言葉を使うのはあまり好きではないが、私が「新規ファン」であるうちにこの文章を書き留めておこうと思う。

私はV6のファンになってまだ1年も経っていないが、私が思う20周年を迎えた「V6」というグループについて自己満で語らせてもらう…。

グダグタでまとまっていない文章だが共感してくれる方がいたらとても嬉しい。

まずもって、「グループ」とは何なのだろうか。
非常に難しい問題だが、「V6」が無かったら個人の活動も無いのであり、まずこの問題について考えたい。
簡単に言ってしまうと、ジャニーズ事務所における「グループ」とは、「利益分配集団」だと私は思う。もちろんそんな簡単なものではないことは重々承知しているが、根底にあるものはそんな簡単なことなのではないだろうか。
若者は大体、個人の努力が自分に専一的に還元されることを望むらしい。
例えば、図書館戦争を見た人が岡田准一に興味を持ち、岡田のファンになったとする。それだけならそれは岡田だけに岡田の努力が還元されたことになる。
しかし、もしその人が岡田を調べているうちにV6に興味を持ち、三宅のファンになったとしたら、それは完全に「利益分配集団」への還元である。
努力したのは岡田なのに、岡田の努力は岡田だけではなく他の人にも分配されたのだ。
では何故彼らは20年もの間誰1人として「利益分配集団」を辞めなかったのか。
考えられる理由を私なりに二つ上げてみる。
まず一つ目に、彼らは「利益分配集団」に属していることによって、自分に誰かの努力による利益が分配される可能性があることに気づいたからではないだろうか。自分の努力が他の誰かに分配されたとしても、他の誰かの努力が自分に分配される。
そして考えられるもう一つは、独立するとリスクをヘッジ出来ないから。要するに、一人でリスクを背負いきれないからだ。一人だと、一度の失敗で失う代価が大きい。だからグループに所属する。
それは違うんじゃない?と思う方も居るだろうが、これはあくまでひとつの見解として受け取ってほしい。

ミュージカルの「坂本昌行
食の「長野博
司会の「井ノ原快彦」
舞台の「森田剛
手話の「三宅健
演技の「岡田准一
字面だけでもかなりパンチがあるが、一人一人見るとさらにV6は個性的な人達が詰まったグループだということが分かる。
一人一人を細かく触れていくとまた文が長々しくなりそうなので辞めておくが、この個性の塊のような6人が集まった時、面白い現象が起きる。個性が消えるのだ。(勿論いい意味で。)
個人が持ち寄った努力が、6人でいる時にしか出せない雰囲気、関係性となって溶け込んでいく。
これはV6に限ったことではない。
「グループ」というのはこの素晴らしい奇跡の現象によって均衡を保ってきた。

グダグタ長々かいてきたが、要するに言いたいことは

「俺達1人じゃ弱いけど!6人揃えばマジやばい!6つの力を合わせると!俺達無敵のV6!!」

ということなのだ。

今日も6人が息をしている。それだけで私は幸せ!!!!

いつかこの文章を読み返して懐かしく思える日が来ることを願う。





出典、参考
私たちはなぜ「労働」するのか 内田樹